かんげんさんの凄さは想像以上でした

先日、完成した「かんげんさん」の冊子をもって、京都の醍醐寺と和歌山の高野山へ行ってきました。

観賢僧正が生きた平安の時代のことを考えると、仏教家という面に加えて、学問の分野においても最高の立場でおいでたことが想像されます。今で言うと東京大学の総長でしょうか。

高野山金剛峯寺や醍醐寺で、冊子を届けた私に対してずいぶんなおもてなしを頂戴しました。観賢僧正が初代とも2代とも言われる醍醐寺では、弘法大師と一緒にかんげんさんの像もあるとのこと。非公開ではありますが、校区の大先輩を大変誇らしく思いました。

さて様々なご縁の中で、讃岐高松においても観賢僧正にゆかりのある場所がわかりました。御坊町にある「無量壽院」。観賢さんが住職を務められたことのあるこの寺院は、昔は室町にあったとのこと。戦災で古文書等は焼失したそうですが、修行を終えたかんげんさんが讃岐に戻ってここの住職を務められたことがわかりました。

びっくりしたのは、ここの境内には、鶴尾校区で幼小時のかんげんさんを見いだし、京都に連れ帰って学問を授けた理源大師の石像があったことです。写真の右端がその理源大師です。

冊子の発行をきっかけとして、益々かんげんさんの凄さを感じる情報が集まってきています。

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