塩江街道沿い、浅野校区のすぐ南にとても大きなため池があります。龍満池(りゅうまんいけ)といいます。
今から400年ほど前の2月から7月、讃岐は雨が降らず、作物がとれないので、飢え死にする人が出るほどでした。そこで高松城の殿様、生駒高俊(いこまたかとし)は西島八兵衛(にしじまはちべえ)を三重から迎え、油山のふもとにわき出る出水を利用して、このため池を作らせたそうです。
池の周りに、春にはたくさんの桜がとてもきれいに咲きほこりますよ。
塩江街道沿い、浅野校区のすぐ南にとても大きなため池があります。龍満池(りゅうまんいけ)といいます。
今から400年ほど前の2月から7月、讃岐は雨が降らず、作物がとれないので、飢え死にする人が出るほどでした。そこで高松城の殿様、生駒高俊(いこまたかとし)は西島八兵衛(にしじまはちべえ)を三重から迎え、油山のふもとにわき出る出水を利用して、このため池を作らせたそうです。
池の周りに、春にはたくさんの桜がとてもきれいに咲きほこりますよ。