8月13日(木)【学習】終戦から75年、当時の浅野は・・・①

昭和20年7月高松空襲といって、私たちの住む高松も夜中に爆撃を受けたのです。旧市内の80%が消失し、高松は焼け野原になりました。

その当時、浅野には、高松市街から線路伝いに避難者が大勢、夜中に歩いてきたそうです。裸足の人、片方だけ履物を履いた人、焼け焦げた衣服の人、やけどを負った人、さまざまな人の列が仏生山、浅野からまだ南へと続いたそうです。
浅野風土保存会議「あさの聞き書」で竹内安子さんは「あの恐怖と悲惨さは今も鮮明に脳裏に残っている。」と話しています。

「あさの聞き書」とはJA浅野だよりの118回掲載までを一冊の本として発刊したものです。浅野校区の文化風土の遺産を長く後生に伝える出版物になることを祈念した資料として活用されています。

「校舎を西南から望む~昭和初期の校舎」「ガソリンカーの前で」 出典 浅野百年

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