9月7日(土)ひょうげフェスタを開催②4年生の発表(劇)

5日(木)に開催されたひょうげフェスタ。4年生による発表の舞台は、2100年、未来の浅野小学校。

ひょうげ祭りの準備でみんな大忙し。おーいみんな。ここだぞ!おい、なんだよそれ。バケツじゃん!バケツなんか持ってきて、そうじでもするの?ちがうよ。これはただのバケツじゃなくて・・・・あ!おれ、知ってる!それ、〇〇先生がいつも持ってる、通きん用のかばんだろ?!えー・・・通きん用のかばん!!!そうだよ。何でも令和って時代に大流行したバケツ型かばんなんだって。だけど、もう一つ、これにはすっごいひみつがあるんだぜ!なにー?教えて、教えて!実はねー、ごにょ ごにょ ごにょえータイムマシーン???

ぼくのひいおじいちゃんが通ってたころの浅野小学校を見てみたいんだ。それでこのタイムマシンに乗って2019年のひいおじいちゃんに会いに行くんだ。ぼくは、ひいおじいちゃんが4年生のころのひょうげ祭りについて、夏休みの自由研究で調べようと思ってるんだ。へー、おもしろそー。ぼくたちも一緒に行くよ。よし、それじゃあ、このタイムマシンに乗って出発だー!エンジン全開、スイッチオン!

あーひいおじいちゃん!わっ!なんだなんだ?きみたちはだれ?ぼくたちは、2100年からタイムマシーンに乗ってやってきた、ひい孫の○○だよ。おじいちゃん!会いたかったー。ぼくたちこの時代のひょうげ祭りについて自由研究しようと思ってやってきたんだ。なんだかよくわからないけど、ちょうど私たちも、ひょうげ祭りのことをいろいろ勉強しているところなの。あなたたちも知っているでしょ。この土地にやのべ平六さんが、やってきたのは今から350年くらいまえのこと。ねえねえ、このタイムマシーンで、350年前に行ってみましょうよ!そうしよー

あ~、今年の夏も雨が全然ふらないな~。雨が降らないから、田んぼもカラカラ。畑でも野菜ができないよ。これでは、生活ができない。どうしたらいいんだ!!

とつぜんですが、ぼくは、みどりかめきちといます。よろしくね!では、ここで香川県はなぜ雨が少ないのかを説明します。ぼくたちが住んでいる香川県は、このあたりです。夏には、高知県の方からしめった風が吹きますが、その風は、高知県に雨を降らせます。香川県に来るころには、かわいた風となってしまいます。田んぼや畑で、水をたくさん使う夏に、香川県は水不足になってしまうことが、たびたびあったようです。

香川県に雨が降る量を、他の県と比べてみましょう。ここでかめきちクイズ!!。香川県に降る雨の量は全国47都道府県の中で何番目でしょうか?1 10位  2 15位  3 45位  指で示してください。 正解は3 45位です。香川県の雨の量は、1166mm。47都道府県の中で、45位です。全国1位の高知県の雨の量は、2708mm。香川県の雨の量は、高知県の半分よりも少ない量しかありません。

矢延平六さんは、江戸時代、常陸の国、今の茨城県に生まれました。33歳の時、讃岐の国、今の香川県のお殿様になる、松平頼重さんといっしょに、香川県に来ました。香川県に来て、1年目で、今の高松駅や栗林公園がある場所に上水道、人々の生活に使う水を流す水路をつくりました。その後、東かがわ市に宮奥池。丸亀市にある仁池などを作りました。おーい!みんな!聞いてくれ!!常陸の国から新しいお殿様がきたそうだ。松平頼重さんという名前らしい。そのお殿様と一緒にやってきた、矢延平六という武士は、池づくりの名人らしいぞ!なんだって!じゃあ、その矢延平六さんに、新しい池をつくってもらおう!!

お殿様、平六さん。わたしたちが住む浅野の村は、日でりで苦しんでおります。大きなため池もなく、周りを山に囲まれ、川も近くにないので、水を田んぼにながすことができません。どうか、お助けください。平六よ。どうにかできんか。わかりました。浅野のみなさんがそんなにお困りであれば。お手伝いいたしましょう。では、まず浅野の町全体を見渡せる場所に案内してください。平六さんは、新池をつくった後も、有名な池だけでも106個。約406カ所の水に関わる工事にかかわったそうです。

平六さんは、人々のために頑張る、やさしい心と、池づくりに必要な土木技術にすぐれた人だったんだね!!まさに、ため池の恩人だね!!平六さん、ここなら浅野の町が見渡せますよ。なるほど・・・ざんねんながら、浅野には池をつくらない!!ななななんですと!なんで浅野に池を作らないのですか?安心しなさい。浅野に池をつくるよりも、あの辺り、川東に作った方がいいんだ。それはなぜですか?なぜ、平六さんは、池を川東につくることにしたのでしょう。この地図を見てください。浅野の町全体に水を送るには、浅野の町よりも高い場所にため池を作らなければいけません。また、大きなため池をつくった場合には、雨の水だけでは水がたまりません。なので、香東川から水を引いてきて、新池に水をためることにしたのです。その結果、川東の川内原に新池をつくることにしたのです。

江戸時代には、今のようなトラックやシャベルカー、機械はありません。たとえば、これは「きね」です。池のそこを固くするために使います。このように高く上げずに、低い位置から何度もたたくのがこつです。これは「かめの子石」です。とても重く、30kgもあります。声を出して、ひもを引くタイミングをそろえるのがむずかしいです。これは、「もっこ」です。つちを運ぶために使われていました。バランスをとるのがとても難しいです。このように、昔の道具をつかうには、こつが必要です。昔の道具を使いながら、一日中作業をするのはとても大変でした。

ついに新池と水路が完成したみたいだよ。日生ニュータウンの入り口にある、橋は水路だったんだね。今でも、平六さんがつくった水路が、使われているんだね。みんな!ついに新池、そして水路が完成したぞ!水門を開け!!水を新池に流すんだ!!

新池ができた理由は分かったけど、なんでひょうげ祭りが始まったのか、まだ分からないよ。あっ、あそこで何かあやしい話をしている人がいるよ!!くそ~平六のやつめ、いつもいい仕事ばかりしやがって。どうにか、こらしめてやりたいんだが・・・そうだ!!こんなうそをつくのはどうだろう・・・ごにょごにょごにょくっくっく。なるほど。いいアイデアだ!さっそく、お殿様に伝えよう。お殿様!平六が新池を作ったのは、高松城を水攻めにするためです。今すぐ、平六を追放してください。なに?平六がそんなことをするはずがない。新池と高松城は、こんなにもはなれているのだぞ。いえ、お殿様。新池の近くには、仏生山の法然寺があります。あそこは、お殿様の隠れ砦。法然寺も水攻めにしようとしているのでしょう。何・・・。信じられぬが、しかたがない。平六を阿波の国へ追放するんだ!

平六さんは、馬に乗せられ、阿波の国に追放されてしまいました。しかし、平六さんは、香川県に帰ってくるまでの10年間、阿波の国でも池づくりを続けました。その後、香川県に帰ってきてからも73さいの時には、まんのう町に井戸をほる工事に関わりました。その後、76さいの時に、病気でなくなります。亡くなる3年前まで、水不足で困っている人のために、働き続けた平六さん。本当に、やさしく、人々のために頑張るすばらしい人だということが分かりました。平六さーん!!平六さーん!!平六さん、どこへいってしまったんだ。探したけど、見つからないよ。しかたがない・・・みんな、平六さんに感謝の気持ちをこめて、この高塚山山頂に神社をつくり、平六さんを神様として祭(まつ)ろう!神社の名前は、新池神社にしよう!ここなら、新池も浅野の町もよく見える。平六さんが、わたしたちを見守ってくれるんだ。じゃあ、新池神社のお祭りもしようよ!でも、平六さんがいなくなってかなしい顔をしているのがお殿様にばれるとまずいんじゃないか。おもしろおかしいかっこうをして、練り歩くのはどうだ。まさに、ひょうげたお祭り。ひょうげ祭りだ!!

なるほど、ひょうげ祭りがはじまった理由も分かったよ。でも、わたちたちこのまま、江戸時代でくらすの?ははは・・・ハクション!!おいだれかいるぞ!!わー、まずいぞ!早く、タイムマシーンに乗って2019年に戻ろう!よかった!!ぶじ、ぼくたちの時代に戻ってきたよ。ばんざーい!!

わたしたちは、このように、矢延平六さんや浅野の町の歴史について学んできました。そして、今、浅野の人々が、浅野の町、そしてひょうげ祭りのために、がんばっていることも調べてきました。

一つ目、新池にうかぶ「ソーラーパネル」です。新池のメガソーラーは、水の上で発電するものとしては日本で最大です。わたしたちは、なぜ、新池にメガソーラーを作ったのか、浅野土地改良区の上原さんにインタビューをしました。理由の一つ目は「太陽光発電は、二酸化炭素をださない、地球にやさしい発電方法であること。」です。二つ目は、「森を切り開いたり、木を切ったりしなくても、池に浮かべるだけでいいので、自然にもやさしい。」という理由で設置することを決めたそうです。また、メガソーラーを新池に設置することで、浅野の町は、ため池を修理したり水路をつくったりするための、お金をもらうことができるそうです。浅野の町には、多くの農家さんがいて、ため池や水路をつくったり、なおしたりすることは、とても大切なことだそうです。上原さんは、「自分たちの町は、自分たちで守っていかなければいけない。江戸時代に、浅野の人々が矢延平六さんとともに新池をつくったように、今浅野にすんでいる私たちも、この浅野の町を残していくために工夫し、努力しなければいけない。昔は太陽の光で、苦しんでいたけど、今はその太陽の光を利用しているのは、すごいことだね。」と教えてくれました。

二つ目は、ひょうげ保存会です。8月27日、わたしたちはひょうげ保存会の植松会長さんに、ひょうげ保存会の役割について教えてもらいました。ひょうげ保存会は、ひょうげ祭りを開催するために、一年間を通して、計画をたてたり、準備をしたりしています。でも、ひょうげ保存会の人だけが、ひょうげ祭りを支えているのではありません。婦人会、福寿会、消防団などたくさんの地域の人々の協力でひょうげ祭りが続けられてきました。昔とくらべると、祭りを見に来るお客さんも増え、今では3000人~4000人の人がお祭りを見に来てくれているそうです。

でもね、ぼくたちの住む22世紀では、練り歩きやみこしに参加する人がへっているだ。それに、浅野に住んでいても、ひょうげ祭りや矢延平六さんのことを知らない人も多いんだよ。だから、21世紀に浅野にすむ皆さん、浅野にしかないこの「ひょうげ祭り」をよりよいお祭りにするために、地域の一員としてできることを考えていってください。よろしくおねがいします。これが、未来から来た、私たちからのメッセージです。(終わり)

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